教えることのやりがい

教えるということ


どの職業にもやりがいがありますが、
教えることのやりがい、を考えてみましょう。
教師でなくても、人に何かを教えるってこと意外とありますよね。

スマホの使い方教えた、兄弟に宿題を教えたとか。
社会人で、後輩に教えた、先輩に教えた、教えてもらった。
道を聞かれて教えたとか。

教師じゃなくても、
教えるってことは日常茶飯事的に転がっているんですよね。
日常茶飯事的にある教えた、
教えてもらったエピソードを聞くとなんだかホンワカするのはなぜでしょう。
こういう日常茶飯事的な教える・教えてもらうことって温かいんです。

困っている相手にたまたま自分のできることで
手を差し伸べられたって感じるんですよね。
教師だって、とっかかりは同じはずです。

教えるってことは、
知識を押し付けるわけではなくて、
それを知ることによって生徒がよりよい生活を送れる、
そんな手助けをするのですから。

教えるとこ成長はセット

日常茶飯事的に起こる教えると少し違うのは、
教師の場合ある一定期間は関わるので、
生徒の成長を見届けることができるのです。

日本語を覚えるとが最終目標ではないはず。

それはたんなるステップにすぎず、
そこから仕事に生かしたり、
生活にいかすわけですから、
彼らの将来がいかようにも描けるのです。

日々の勉強では、新しい単語を言い回し覚えて使う機会があった、
とかこの文章を知って使えたからこそ
成功したというのも教師としてはやりがいです。

幼い子供が色々な言葉を知って、
使う姿を見ると微笑ましくなってしまいますが、
まさにその状況と同じことが言えるのです。

昨日まで知らなかったその言葉をある日突然発する。
それがとても良い言葉あったり、
奥ゆかしい言葉だとなおのこと嬉しいと感じます。

なにより嬉しいのはその言葉を覚えたことではなく、
発するタイミングが合った時、これですね。

教えることのやりがい

日本語教師は、
少なくとも日本語に興味を持っている人と関わることが多いです。

自分の講義を聞いたことによってさらに、
日本語の知識を深めようと思ったり、
日本の事を知りたいと思ってくれる人がいることこと、
日本語教師としてのやりがいを感じます。

このやりがいは、1度や2度教えただけでは、
得ることができません。

試行錯誤の上、
多くの生徒と出会って教えることを積み重ねたからこそ得られるものなのです。
生徒の成長も同時に観るわけです、
日本語を教えるその先に得るものは、生徒それぞれです。

それを見届けるのもまた楽しいものです。
教えることのやりがいは色々。

しかし、そのやりがいを感じることで、
生徒へ還元することができ、
教師自身も大きく成長することができます。

教えて、そしてそのことで、
生徒が得るものがたくさんある、そんな教師が理想です。