生徒は色々
相手が子供であろうと、大人であろうと人に何かを教えるというは大変。
人それぞれ理解の仕方やスピードも異なるわけです。
ましてや日本語教師となると。
子供の場合、記憶が早く柔軟なので理解力もあるのですが、
成人以降となると、それまで培ってきたものがわるためどうしても偏ってしまいます。
日本語を学ぼうとする多くの外国人はすでに母国の言語を知っているので、
母国と対峙しながら日本語を理解していくことになります。
先生になりたくて日本語教師なった人は特に危険です。
というのも、その気持ちが先行しすぎてしまい、
一方的な教え方になってしまいます。
日本語教師の役目は、一方的に日本語を教えることではなく、
相手が理解して実用できることが最終の目標です。
教えるだけじゃなく、たまには聞いてみよう
そこで必要なのが生徒に質問をさせるということです。
ある程度理解しないと質問や疑問が生まれてこないにので、
その質問を聞くことで教師側の理解もできます。
この質問をしてくるということは、説明したつもりだったけど、
理解するまでに及んでいなかったもしくは、そもそも説明していなかった。
などのように一つの指標にもなります。
詰め込みは危険
また、覚えることをたくさん詰め込んでも飽きます。
それは日本語を学ぶ事だけでに限りません。
言語は覚えてテストが満点だったらいいのか?
そうではないはずです。
テストで良い点取れても、
日本で生活や仕事ができなければ意味がないのです。
質疑応答は、生徒にとっても教師にとっても大事です。
生徒は、質問することで疑問点が明確になり、
また言葉に発するという行為で記憶に残り易くなります。
また、聞いている他の生徒に
とっても記憶に残り易く実用性が高まります。
一方の教師側もコミュニケーションが図り易くなりますし、
どんなところでつまずいているのか、
が理解できるので質問をもらえる方が良いのです。
質問を受けない教師は、おそらく自分に自信が持てなかったり、
質問に答える自信がない場合が多いですが、ちゃんとした回答がなくても、
恥と感じず一緒に考えていけば良いのです。
教師は神様ではありませんので、分からないことだってあるのです。
それを恐れて、質疑応答の時間を設けなかったり、
質問に対して横柄な態度を取っては、生徒の知識は伸びません。
例え、答えが分かりにくい、質問の意図が分からなくても、
曖昧やこ横柄な態度や論点をすり替えるようなことはせずに、
幼少期の事を思い出して初心に帰った気持ちで答えてみては。
質疑応答の時間で多くの生徒から質問を受けれると、
その場の雰囲気も良くなって、少しづつ一体感が出ますし、
真摯に答えてくれる教師だと、記憶にも残り、
生徒にとってもどこかで役立つ日本語を覚えることができます。