日本語学校の存在意義を知ろう

日本語学校の存在意義を考える


現在の日本には外国語を覚えることができる教室がたくさんあります。
しかしその一方で日本語を教えるための小学校も多くあります。

日本語学校の存在意義というものを考えたことがあるでしょうか?

日本語学校の存在意義というのは日本人に対してではなく、
外国の方に対してというのがもちろんです。

しかし、これが日本語学校の存在意義というのはどんなものなのか、
この存在意義を履き違えている教育者がいることも事実になります。

しっかりと存在意義を深く唱えた場合には、
単純に日本語を教えれば良いというものではありません。

これから先、日本語を教えるための教育者を目指す方や、
既にそういった環境で働いておられる方などは、
より深く考えていかなくてはならないでしょう。

海外の方に対し日本語を教えるということは、
それだけ責任があることです。

なぜ外国の方が日本語を覚えたいのかといった目的を知るとともに、
可能な限りビジョンを広げていくための
ヒントや入口探しにも携わっていくことが重要です。

言葉を覚えた後まで考える

日本語学校の存在意義として、日本語を教えるのは当然です。
海外の方にしてみればどの国の言葉よりも
日本語が難しいといったイメージを持っています。

そのため日本語で日常会話ができるだけでなく、
就職に生かすためにはどれだけの勉強量が必要になるかを、
まずは教育する側が考えなければなりません。

私たち日本人としてみれば当然のごとく使っている言葉ですが、
海外の方にしてみれば、
私たちが外国語を覚える以上に努力をしなければならないのです。

そういったことを踏まえた上でしっかりと日本語をマスターした後、
それぞれの外国人がどのような場面で
日本語を役立てていくのかにして目を向けてみましょう。

多くの外国人の方が就職に役立てるためというのが目標になっています。
しかし日本語を覚えるだけでは実際に就職することができないまま、
困っている外国人もたくさんいるのが現状です。

そういった部分までをしっかりと考えながら教育する側と、
就職先などを斡旋する機関が手を結びながら連携を図っていくことも大切なるでしょう。

それでこそ日本語学校の存在意義も大きくなるといえます。

日本にいる外国人を救う

日本語学校の存在意義というのは前述したとおり、
外国人の就職を手助けするというのが最も大きなものになります。

しかしそれだけではなく、
日本で生活をしている
さまざまな外国人を救うという意味でも大きな存在意義があるのです。

それは万が一日本で災害などが起きた時、日本語の話せない外国人というのは、
何から何まで全てにおいて困ることになります。

しかし日本語学校が存在し、しっかりと日本語を覚えた外国人であれば、
震災が起きてしまった時や、
災害に巻き込まれてしまったときでも救いを求めることができます。

また日本語の話せる外国人に対して救いの手を差し伸べる日本人も増えるでしょう。
こういった部分からも、
今後の日本語学校の存在意義というのはさらに需要が高くなると言えます。

教えることのやりがい

教えるということ


どの職業にもやりがいがありますが、
教えることのやりがい、を考えてみましょう。
教師でなくても、人に何かを教えるってこと意外とありますよね。

スマホの使い方教えた、兄弟に宿題を教えたとか。
社会人で、後輩に教えた、先輩に教えた、教えてもらった。
道を聞かれて教えたとか。

教師じゃなくても、
教えるってことは日常茶飯事的に転がっているんですよね。
日常茶飯事的にある教えた、
教えてもらったエピソードを聞くとなんだかホンワカするのはなぜでしょう。
こういう日常茶飯事的な教える・教えてもらうことって温かいんです。

困っている相手にたまたま自分のできることで
手を差し伸べられたって感じるんですよね。
教師だって、とっかかりは同じはずです。

教えるってことは、
知識を押し付けるわけではなくて、
それを知ることによって生徒がよりよい生活を送れる、
そんな手助けをするのですから。

教えるとこ成長はセット

日常茶飯事的に起こる教えると少し違うのは、
教師の場合ある一定期間は関わるので、
生徒の成長を見届けることができるのです。

日本語を覚えるとが最終目標ではないはず。

それはたんなるステップにすぎず、
そこから仕事に生かしたり、
生活にいかすわけですから、
彼らの将来がいかようにも描けるのです。

日々の勉強では、新しい単語を言い回し覚えて使う機会があった、
とかこの文章を知って使えたからこそ
成功したというのも教師としてはやりがいです。

幼い子供が色々な言葉を知って、
使う姿を見ると微笑ましくなってしまいますが、
まさにその状況と同じことが言えるのです。

昨日まで知らなかったその言葉をある日突然発する。
それがとても良い言葉あったり、
奥ゆかしい言葉だとなおのこと嬉しいと感じます。

なにより嬉しいのはその言葉を覚えたことではなく、
発するタイミングが合った時、これですね。

教えることのやりがい

日本語教師は、
少なくとも日本語に興味を持っている人と関わることが多いです。

自分の講義を聞いたことによってさらに、
日本語の知識を深めようと思ったり、
日本の事を知りたいと思ってくれる人がいることこと、
日本語教師としてのやりがいを感じます。

このやりがいは、1度や2度教えただけでは、
得ることができません。

試行錯誤の上、
多くの生徒と出会って教えることを積み重ねたからこそ得られるものなのです。
生徒の成長も同時に観るわけです、
日本語を教えるその先に得るものは、生徒それぞれです。

それを見届けるのもまた楽しいものです。
教えることのやりがいは色々。

しかし、そのやりがいを感じることで、
生徒へ還元することができ、
教師自身も大きく成長することができます。

教えて、そしてそのことで、
生徒が得るものがたくさんある、そんな教師が理想です。

日本人は教えることが苦手!?

なぜ日本人は教えることが苦手か


日本人は教えることが苦手と言われますが、
その背景は受けてきた授業のスタイルにあるとされています。

日本は学歴社会が根強く、その学歴を決めるのはペーパーテスト。

そのペーパーテストの内容の多くは暗記です。

そのテストを突破するための詰め込み型の学習スタイルが多く採られています。
英語にせよ、数学にせよ、
教師は文法暗記させるための方法をとります。

そんな授業を受けてきた私たちは、
学力といえば暗記と刷り込み教育されてしまっているかのごとく、
知識を詰め込むことは得意のようです。

しかし、語学の勉強法は文法を覚えたら良いのか?とこの疑問にぶちあたります。
例えば、私たち日本人は、御英語での会話をマスターするのが苦手な人が多いです。

文法や英単語を覚えるのは得意、テストはできるけれど、
こと英会話、英語での討論となると下手です。

相手が例え小学生であろうと、会話するのは苦手です。

これと同様のことが、教えることでもおきているのです。

教師が一方的に教える、
そしてテストで満点をとらせるために詰め込み学習をすることは得意なのですが、
日本語マスターするのにそんなことはあまり必要がありません。

必要なのは、生徒が日本で生活できること、日本語を使って仕事ができること、
日本語を使って会話ができることなのです。
難しい単語を覚えたり、テストで満点とることではないのです。

語学は使ってこそいきる

外国人の多くは、日本人と発想が異なります。
テストは最低限でも、会話やディベートを楽しむ文化なので、会話が得意なのです。

このような文化の違いも考慮しないと、
頭ごなしに、日本の勉強スタイルを押し付けても伸びるはずがありません。

私たちが日本語を覚えたのってわざわざ勉強しましたか?
文法や単語を教えてもらってテストを受けましたか?違うと思います。

日常の会話に触れ、例え話さなくとも色々な場面で聞いてきたはずです。
そこで自分なりに習得し、また学校生活や町のコミュニティで自然と身に付いたのでは。

そうやって、外国の人にも日本語を身につけてもらうのがベストな方法ですよね。

日本人が英語を学ぶのと同様で、語学は、
その土地の友人や恋人と話すことが最もマスターしやすいのです。

日本人の得意な詰め込みや暗記の方法は、語学に関しては無意味な勉強法なのです。

真面目な教師ほど、この勉強法に固執してしまいがちなので、
勉強法を変えてみると良いかもしれません。

自分に置き換えて、自分が日本語を覚えた時、
知らない世界の知識を知った時はどんな感じでしたか?

その気持ちや方法を思い出してみると、
記憶に出てくるその教師の教えて方って、文法や単語の詰め込み、ではないはずです。

歌で教えたり、ディベートしたり、ワークショップが多かったように思いませんか?

教える前に、まず自分でしっかり学習しておく

ベテランこそ気をつけて


教師といえども人間。
相手が変われど、教えることは同じようなものなので、
ベテランになればなるほど、
よく考えなくても口からすらすらと言葉が出てくる。

ように生徒側からすると見えるのですが。
しかし、それはベテランになればなるほど、
経験が積み重なっているわけなので、当然です。

誰だって同じことを何度も何度も繰り返していけば
体がちゃんと覚えていくのです。

とはいえ、それに甘えて変わり映えしな教え方をする教師は、
本当の教師とはいえないのです。

例え教える内容に変わり映えしなくても、
公式や文法は滅多なことでは変わらないでしょうし、
しかし、教師だって常に新しい事をキャッチアップするのは必要なことです。

例え安定を目指そうとしても、常に新しいものを習得していかないと、
安定にはならないというこはビジネスの世界でよく言われることです。

常に新しい事、物、に目を向けてこそ、ようやく安定なのです。

今の知識力に満足してアグラをかいてしまっては、
そこから停滞、下降していくばかりで、あっと言うまに、生徒に見下されます。

常に向上

教師といえども日頃の学習は必要で、教え方を考えてもいいですし、
日本語を学びたい諸外国の国柄を学んでも良いでしょうし、
直接日本語と関係しなくて、どこかで役に立つ時がきます。

教師が常に学習していることで、生徒への示しもつきますね。
相手に予習・復習を指示するだけなく、
教師もそれに取組み一緒に学ぶことをすると、
生徒との信頼や尊敬の関係が出来、生徒の学力も伸びます。

教える事は奥が深くこ、
例えうまくいった方法があっても万人の生徒に通用するわけではありません。

人には理解の個人差や以外な得意点や盲点があるので、
このやり方が100%正しいということはありません。

ですので、教師としてはそこを常に模索して追求していくこで、
その結果が成功となってどこかで実を結びますし、
ただ教えるだけが仕事と割り切るよりは、
教えることの面白さの追求にもつながります。

自分が教える側になってようやく教えることの難しさや
思い白さが分かったということをよく耳にします。

知識がない時のあなた自身をもう一度思い返して、
初心に返った気持ちになって、教える前に学習してみましょう。

昔わからなかった事が繰り返すことになって、
色々な生徒と出会うことによってより深く感じることもできます。

一方的に教えるのではなく、
あなた自身もそこから学び感じるそんな教師が生徒からは求められていますし、
生徒だけでなく同業であっても、
いつになっても学習する真摯な態度に心を打たれることでしょう。

教師になって、日々押しえて満足ではなく、常に進化し、
時代にあわせて、変わってゆける教師って素敵ですよね。

生徒を見下すのはNG

見下しはのちに自分へ


どの世界にも人を見下す人はいます。
その中でも教師は自分が偉いと勘違いをして教壇に立っている人も多くいます。

人に教えるという行為で、自分が優位に立っている、
教えてあげているという感じがするのでしょう。

しかし、そのスタイルでやっていても、
本人は気持ちが良いですが、
教師の成果としては全くあがらないですし、
生徒からも信頼も直に損なわれてきます。

こんな人は危険

見下す人の特徴として、「分かって当然」、
「なんでこれが分からないのか」、
「分からないということが分からない」などと言ったり、
態度に示します。

あまりに行き過ぎると怒る、怒鳴るなどのストレスのはけ口とします。
上から目線で物事を発する人は、少し立ち止まって考えてみて。

あなただって、最初は知らなかったはずです。
ただ、毎日繰り返して色々な生徒に教えているから、慣れているだけです。
初心に立ち返ってみることで、見えてきませんか?

生徒を見下すような発言や態度を繰り返すと、いずれ痛い目を見ることになります。

外国人は勉強熱心

日本語教師の場合、生徒は日本語が通じないことの方が多く、
教えてもすれ違いが起きるなんてことは日常茶飯事です。

日本語同士だってうまく通じ合わないことが多いのですから、
母国語が異なるとなおさらです。

だからいって、生徒の頭が悪いと思ってしまうのは筋違いです。

相手と向き合って丁寧に教えたらそれだけの見返りは必ずあります。

また、諸外国(特にアジア人)の人は勉強熱心です。
ましてや、覚えなくても良い日本語を
マスターしようとするぐらいの好奇心旺盛な人なので、
とても勉強熱心です。

それにつけこむかのように、
教師が偉そうな態度を取って生徒を見下すと日本人の品格まで問われます。

日本語を学びたい人は世代も幅広く、社会人経験もある方も多いので、
もしかすると新米教師よりもこはるかに色々な知識を知っていることだってあるのです。

ただ日本語を知らないだけ。
その生徒に対してこ見下すのは視野がとっても狭く、自分に自信がない証拠です。
対等な立場で、1人1人向き合っていけたらいいですね。

日本語教師の講義内の狭い範囲だけでその生徒を見下してしまうと、
それは全部自分に返ってきますよ。

何度も何度も教えても全然理解してくれなかったり、
説明している言葉がうまく伝わらずにイライラしてしまうこともあるかもしれません。

しかし、そんな時こそ、初心にかえってみて、
自分が教えてもらった時はどうだったかとか。

もっとわかりやすい資料はないかなど、
改善の余地のきっかけと考えましょう。

お互いwinwinの関係が築けると、生徒のやる気も上がり、それが成果へとつながります。
生徒を見下さずに対等を意識してお友達感覚でも十分なぐらいです。

人に教える時の心得

教師は教師でも


日本語教師は国語や数学の教師とは違う。
何が違うかと言うと、教える相手です。
国語や数学の教師の相手は未成年の学生さん。

日本語教師の教える相手は、
未成年もいるけれど、多くは大人です。

未成年の場合は、まだ頭も柔らかく、
吸収力が凄まじいので、1教えると10も100も理解したり、
また好奇心が旺盛なので、色々な意見が飛び交います。

しかし、日本語を学ぶ人は大人。そして、既に母国語があるので、
どうしてもそれと比較してしまったり、
それまで培ってきた自分の勉強法に
固執してしまって柔軟さにかけてしまいます。

どちらにしても、教える事に対する心意気は同じことが言えるので、
ここでは教える時の心得をご紹介しましょう。
既にあなたも1つや2つあることでしょう。

外国人にに日本語を教えるということ

まずsその1は、
教えたこと全てが1度で理解できたと思ってはいけない。
どれだけよくできる生徒でも1度で理解できる人はいません。
できる人は、以前にも学んだ経験があるはずです。

また理解している態度を見せているだけなので、
後者の場合は注意が必要です。
「分かったか」という質問はいけません。

講義中に分かったつもりでも、
復習すると分からなくなる、なんてことは日常茶飯事ですから。
重要なこと、覚えて欲しいキーワードは繰り返し教えましょう。

その2は、教師が偉いと思わないことです。
教えるということで自分が優位であると勘違いをする教師は多いです。

そうなると、生徒を見下したり、
一人よがりな講義をしてしまいます。

こんなの分かって当然、
分からない方がおかしい、というような気持ちは一切捨ててください。

その3、重要なことは何か?を再度見直してみましょう。
その文法を覚えること、テストで満点取ることが重要ですか?

それも大事ですが、生徒の目標は日本語をマスターして、
生活したり仕事に役立てることなはずです。

そのための方法(日本語)を教えることが教師の任務です。
熱くなる個所を間違えてはいけませんよね。

その4、初心にかえりましょう。
あなたが言葉を覚える時、どうやって覚えましたか?

幼い頃でなくても、政治の用語、
IT用語などの今まで知らなかった世界に入る時には、
それらの業界用語はチンプンカンプンだったはずです。

それでも、人に聞いたり、調べたり、
本や映画などでなんとなくニュアンスをつかんだりしてきたはずです。

そのことを思い出してみると、最初から出来る人はいないのです。
挫折やスランプ、苦手や覚えにく単語など人それぞれにあるはずです。

その5、楽しく。
最後はこれにつきます。
言語を学ぶには、
恋人や友達の輪の中に入りコミュニケーションをとることが
一番早くマスターできると言われています。

特に言語は、毎日楽しく使ってこそマスターできるのです。